後期末葉から晩期前葉を中心として営まれた正面ヶ原A遺跡から出土した「土製耳飾り」「装身具類」「櫛」「玉類」や、「土偶類」「顔面付小形土器」から精神世界を垣間見ることとしたい。
「着飾る意味」とは何か、日常と非日常でどうであったのか、着飾った姿の社会的意味はあるのか、様々な問に答えるための検証と解釈が本来は必要である。ここでは、日々考えている範囲を提示し、今後、厳しく批判的に検証を重ねるべき内容である。
さて、「着飾るモノ」として土製耳飾りと装身具、櫛が出土している。櫛は断片であることから、ここでは割愛する。土製耳飾りの形態と文様の研究から、出土した耳飾りは、後期末葉から中期中葉に亘る時間変遷を有する一群であることが予察されている。研究を進めている百瀬長秀氏によれば様々な系列があり、主に信越に分布する土製耳飾りが出土している。また、群馬県千網谷戸遺跡で出土する千網型耳飾りの破片も出土しており、耳飾りからも広域なモノの動きが読み取れる。
正面ヶ原A遺跡からは玉類が出土している。その素材は、ヒスイではなく、軟玉(ネフライト)、蛇紋岩類と多様である。また、形態も小玉のほか、勾玉、三角形など多様である。東北地域では、これら玉類は連珠として墓から出土する。正面ヶ原A遺跡の玉類の出土は墓ではないが、このような縄文時代中期から後期にかけての大珠から後期~晩期になると小形の玉類に装身具が変化していることを読み取ることができえる。
土偶は出土しているが、破片であることからその実態は不明である。しかし、遮光器系土偶の脚部と推測される遺物が1点出土している。その製作は内実手法であり、長野県中村中平遺跡や石川県比良遺跡が類例として挙げられる。しかし、新潟県元屋敷遺跡・村尻遺跡や富山県境A遺跡は空洞手法で作られており異なる。
縄文時代後期後半から晩期には、顔面付小形土器が盛行するようになる。これらには、東北地方の後期後葉の一群と関東地方の晩期前葉における一群に分けられる。また、粗製土器に用いられる。佐野式土器圏では、小形を呈していることが特徴的で、正面ヶ原A遺跡では口径推定約6㎝のミニチュア土器に顔面がついている。また、V字の装飾は、遮光器土偶の襟部分に類似するとも考えられている。
土製耳飾り
顔面付土器片
正面ヶ原A遺跡出土の土偶
参考文献
新発田市教育委員会 1982 『新発田市埋蔵文化財調査報告書4:村尻遺跡Ⅰ』 新発田市教育委員会
桐生市教育委員会 1984 『重要文化財千網谷戸遺跡出土品』 桐生市教育委員会
富山県教育委員会 1992 『北陸自動車道遺跡調査報告―朝日町編7― 境A遺跡 総括編』
富山県教育委員会
飯田市教育委員会 1994 『中村中平遺跡』 飯田市教育委員会
朝日村教育委員会 2002 『朝日村文化財報告書22:元屋敷遺跡Ⅱ(上段)』 朝日村教育委員会