縄文文化の胎動 土器製作の始まり

 後期旧石器時代の石器着柄方法を考えた場合、動物の腱や、植物繊維などで縛っていたと推測される。弱い植物繊維を強固にするために親指と中指を滑らせ繊維を撚ったことが容易に想像される。また、石器石材を拾い両手で石を持ち抱えて、段差ある坂道を歩くことは出来ず、編籠や網袋などが必要である。すなわち、後期旧石器時代には撚紐や編籠が存在していたと推測される。
 遡源的な土器は、前史に存在していた編籠や樹皮容器などの容器を模倣したと考えられる。その素材が耐火性・可塑性のある粘土に置き換わったと考える。その耐火性ある粘土製容器、すなわち土器は火にくべて煮沸することができることを意味する。
 この機能としての煮沸は、誰もが認めるところであろうが、用途として何を煮沸していたのかについては不詳である。初期の煮沸行為は、魚の油を煮沸して取り出し、身体に塗る目的が土器煮沸にあると考える研究者や、狩猟用の毒を製造するための煮沸行為だと考える者もいる。また、食料資源を煮る立場を堅持する研究者も多い。多様な素材を煮ることにより、高いカロリーと熱を加えることで衛生面の効果があり、煮ることで堅い食事を柔らかくし、高齢者などの食事環境が改善されたと評価する。これら一連の食事事情を社会学的に評価することが土器の有無を持って、時代大別の大きな指標にしようとする立場である。
 遡源土器である「肥厚系口縁土器」は、口縁が肥厚する特徴があり、その口縁端部に刺突が付される場合や、肥厚口縁に斜格子の沈線文を描く資料が散見され、編籠や樹皮容器を模倣したと推測される。草創期前半に作られた隆起線文系土器は、その文様の基本は横位多条構成であることや、斜位刻みやハの字の爪形文などが加飾として付されることなど、編籠などを写し替えた模倣行為が土器製作の背景にあると考えて良いと思う。
 苗場山麓に遡源土器の発見はないが、隆起線文系土器⇒押圧縄文系土器⇒回転縄文系土器へと変遷する様子を理解できる数多くの草創期遺跡が残されている。すなわち苗場山麓は、縄文文化発祥の地のひとつとして評価され、世界最古級の土器文化が残された世界的に見て奇跡の大地なのである。
寺尾遺跡
相模野No.149遺跡(三角は沈線部を示す)
参考文献

栗島義明 1988 「隆起線文土器以前―神子柴文化と隆起線文土器文化の間―」
『考古学研究 第35巻 第3号』 考古学研究会
栗島義明 2024 『トチノミ食の民俗学~東日本地域に於けるアク抜き事例の集成~』