苗場山麓で確認されている草創期遺跡は、現在39ヶ所を数える。この狭い地理的範囲に39ヶ所もの草創期遺跡が確認されている状況は、いかに当該期の活発な活動があったかを知る一つのメルクマークとなり得る。その活動の痕跡である遺跡分布を地図上で概観するならば、信濃川と清津川との合流点エリアA1、A3に21ヶ所、清津川以南・中津川以北の段丘上に分布するエリアA2の9ヶ所が全体の約70%を占める。このエリアA内で、稀薄な分布がある。A1の2ヶ所とA4の1ヶ所の計3ヶ所の遺跡が、清津川を挟んで両岸に分布する。また、県境を流れる志久見川右岸の細長い中位段丘面に3か所の遺跡が認められ、これを便宜的にエリアB2と呼ぶ。その近傍に広がる高位段丘面に石器の単体分布を含めて5か所の遺跡が認められ、これをエリアB1と呼ぶ。
鹿又喜隆は、エリアA3に位置する十日町市田沢遺跡の報告に際して、周辺に分布する草創期遺跡群を射程にセトルメントパターンの分析を試みた(鹿又:2018)。鹿又は「活動痕跡の過度な重複がないため、場の機能を容易に理解できる」と判断し、その実態を「遺物集中が重複することは少なく、同一地点(同一遺跡)に戻ってくるような回帰的居住や長期居住ではなかった」と理解した。また、「隆起線文土器期には、竪穴住居跡やキャッシュのような兵站・貯蔵遺構がないことも、長期的居住や反復的居住がなかったことを暗示している」と指摘した。一方、「当該期の遺跡が数多く残されているため、当地域のどこかに再び戻ってくるような形での回帰的居住パターン」が認められる「居住核地域」であったと説明した。すなわち、広域移動ではなく、苗場山麓という極めて狭い地域における回帰的居住パターンが認められる居住核地域であることを強調した。
ここでいう当該期は、草創期あるいは隆起線文土器期であろうが、それなりの時間的距離のある活動痕跡を一括りに議論を始めた第1段階にある。今後、より細かな同時性の枠を設定し、鹿又の試みに学び検討を深める必要がある。その場合、後期旧石器時代を対象とした苗場山麓における山本克や山崎芳春、佐藤信之が示した活動モデルも十分理解し、仮説モデルとして検討することが望ましい。
草創期遺跡分布図
田沢遺跡周辺の遺跡複合(鹿又:2018)
芦ヶ崎入り遺跡の行動モデル復元図(山崎:2023)
芦ヶ崎入り遺跡セトルメントパターン模式図(佐藤信:2023)
下モ原Ⅰと居尻Aの遺跡間接合資料(山本:2024)
参考文献
鹿又喜隆ほか 2018 「旧石器時代から縄文時代への移行に関する実践的研究-新潟県十日町市田沢遺跡-」『東北大学総合学術博物館紀要』 №17 東北大学総合学術博物館
十日町市教育委員会文化財課 2018 『田沢遺跡発掘調査報告書』
佐藤信之ほか 2024 『芦ヶ崎入り遺跡―石黒川第2号砂防堰堤整備事業に伴う発掘調査報告書―』
津南町教育委員会
山本克ほか 2025 『楢ノ木平遺跡―第3次調査報告書―』 津南町教育委員会