約14,000年もの長い歴史を持つ縄文文化は、移動性の高い居住様式であった草創期から前期前葉までは、広域的な移動生活や振り子型の移動生活が行われていたと推測される。移動性の高い居住様式から定住的な居住様式への移行は、早期末葉から前期前葉と推測され、当該期に土器容量の大形化や尖底から平底への変化などを認めることができる。
気候温暖化は前期中葉頃をピークとし、苗場山麓に落葉広葉樹の森が展開する。また、卯ノ木低湿地遺跡の研究成果(吉川:2010)によれば、前期相当の地層に大量なクリ花粉が含まれることからクリの管理栽培林があったと推測されている。このように前期中葉以降、苗場山麓には定住性の高い集落が出現したことが予測できる。その端緒が前期中葉の諏訪前東A遺跡である(佐藤:2016)。形態の異なる大・小の竪穴住居跡が検出されている(第1図)。
諏訪前東A遺跡 竪穴式住居
その典型は中期中葉に形成され、それが沖ノ原遺跡や道尻手遺跡、堂平遺跡などである(阿部:2019)。典型的な中期拠点集落跡は、ムラの中心に居住遺構がない広場があり、その広場を囲むように居住遺構群が巡る構造がある。また、広場には浅い土坑が掘られる。これら土坑から装身具が出土することから墓坑と推定される。墓地である広場は、祖先霊とつながる場であり、その上で、祭りでダンスをしたりする社交の場として機能していたと推測される。
この拠点となる環状集落は、自然世界を切り抜き人工的なムラを形づくる。ムラのソトには「ハラ」があり、ハラは食料や道具の材料を獲得する貴重な場として認識される。ハラのソトには近景としての「ヤマ」がある。ヤマは日常的には直接かかわらない領域であるが、時にはイッチョマエの儀式などで利用する聖域でもあった。ヤマの背後に「ソラ」が広がる。ソラには、大地を照らす太陽が昇り、西に沈むと、形を変え、回帰的に蘇生する月が昇る。時には雷鳴とともに稲妻が光る神秘な天井界であることから、観念的な物語が語られ、その中には、人間界と異なる世界の話があったと推測される。
少なくとも縄文人は、自然界の一員であったが、自然界の一部を人工化する背景に「縄文的空間認識」なる観念世界を広げていたとも推測される(第2図)。
ムラの概念図
参考文献
江坂輝彌 1976 『沖ノ原遺跡』 新潟県中魚沼郡津南町教育委員会
卯ノ木低湿地遺跡
佐藤雅一ほか 2005 『道尻手遺跡』 津南町教育委員会
佐藤雅一ほか 2011 『堂平遺跡』 津南町教育委員会
青木利文・佐藤雅一ほか 2016 『諏訪前東A遺跡―県営中山間地域総合整備事業に伴う発掘調査報告書―』 津南町教育委員会