約14,000年も続いた縄文時代の精神文化を、どのように推し量るのかは難しい。
例えば、草創期のカゴなどの編み物からの模倣・イメージの段階から、早期以降は装飾の段階に移行していく。装飾性文様が出現・発展し、前期から多様化する。中期に装飾性文様の極致に達し、物語性文様となる。後期以降は、文様が洗練化していく。
前期中葉の諸磯b式土器には、イノシシと推定される獣面突起が付けられ、この獣面突起の表現法や顔面の向く方向性などの変化が、中期を経て後期初頭まで認められる。
中期中葉になると土器器面に土偶と理解される意匠的立体貼付文やその形骸的文様が土器面を飾るようになる。さらに後期以降、鉢形土器の異形化が顕著になり、男根から変化した注口が付くことで注口土器が発達し、一部には顔面表現が付くようになる。
このように、実は土器にも精神世界が色濃く映し出されている。
ここでは、苗場山麓における身体装飾に関わる土製品や石製品が出土している。
代表的なものは、縄文時代前期の滑石製の抉状耳飾りなどや、縄文時代中期の翡翠製などの垂飾品がある。特に抉状耳飾りの製作には技術が必要であり、吉峰遺跡の出土状況からは、縄文人が装着したまま埋葬されたことが伺え、1対で出土している。大きさも製作技術も素晴らしい優品である。
縄文時代中期以降になると土製耳飾りが多く出土する。抉状耳飾りも土製耳飾りも現在のピアスのように耳たぶに穴を開けて装着していたと考えられる。そのため、装着には痛みを伴うことから、何らかの通過儀礼の意味合いも民族事例の援用から推定される。
縄文時代前期末には土製の抉状耳飾り、中期中葉で滑車形耳飾りが出土し、縄文時代後晩期においても隆盛し、正面ヶ原A遺跡において出土が認められる。
縄文時代において、「第2の道具」と呼ばれる土器や石器などの利器のほかに、用途が分からないもの、生業活動に伴わない道具が作られている。また、これらと土器や石器が混じり合うような造形物も創出している。
代表的なのは、土偶である。縄文時代草創期から作られるが苗場山麓地域では、縄文時代中期に多く作られ、道尻手遺跡、堂平遺跡、沖ノ原遺跡などで出土している。
このほか、三角土偶や、三脚石器、板状石器、ミニチュア土器、三角檮土製品、三角檮石製品、土版、石棒、石棒状土製品など多種多様なものが作られている。そして、それらには文様が刻まれているものもあり、文様に何らかの意味が付随していたことも推測される。
これら、生業活動に直接結びつくとは、想定することが難しい、土製品、石製品には、作り出した縄文人たちの精神文化を物語り、表象する事物であると考えられる。