編む -編み技術と製品-

 『秋山記行』には、「イラ」という草を精する姿の老婆を描いている。また、母親と子ども2人を描いた挿絵の母親や福原家の囲炉裏を囲む人々は、網目模様が入った「ソデナシ」を着ている。これが「アンギン編み」と考えられる。この編み技術は、縄文土器の底部に、編み目模様が認められていることから縄文時代まで遡ると考えられる。
 この編み方は、「もじり編み」と呼ばれる。編み台を使い、「経糸」と「緯糸」を編んで作られた、「編布」である。
 自然と共鳴共生した縄文時代、自然資源を巧みに利用した。小林達雄によれば、縄文土器は、「編籠や樹皮籠のかたち」をイメージして模倣して作られたと考えられ、編み物技術や編み物は土器が発明される以前から、存在していたと考えられる。
 現在の落葉広葉樹の森には、その素材となる植物が多く存在する。
 代表的なものには、ヤマブドウ、アケビなどの蔓や、シナノキや青苧、赤苧などの植物繊維、根曲がり竹などがある。
 日本国内で出土した縄文時代のアミカゴなどの編み技術をみると、現在とほぼ同じ技術がすでに縄文時代から存在したと考えられる。
 江戸時代の秋山おいてもこれら自然資源を利用し、様々な編み技術を使ったものが存在していた。

『秋山記行』にみる衣服と縄文 
 『秋山記行』は、牧之が見聞きした当時の暮らしの風景を現在の私たちに教えてくれる。暮らしに必要な衣食住において、牧之が描いた秋山の人々の様子から見ることができる。これらを縄文時代と現代と比較する。
 縄文時代の衣服は不明だが、土偶からその様子を復元する試みがある。『秋山記行』で描かれた親子の絵図の母親が着ている服の様子は、藍染と考えられる着物で腕や足が出ている。そして、その上にアンギン編みの袖なしを着ている。男女とも同じような服装をしている。小赤沢集落では、「イラ」をオカキしている老婆の挿絵がある。このことから、秋山郷にアンギン編みがあったことを記している。アンギン編みは、イラクサ、アオソ(カラムシ)、アカソなどの植物の茎の部分の繊維を採りだし、糸を撚る。撚った糸は、経糸として使う。横糸は、繊維を半撚りしたものを使う。編み台にコモヅチをつけた経糸を垂らし、横糸をからめて作られる。この編み方に類似するものが、約6,000年前縄文時代前期の縄文土器底部の敷物圧痕に認められる。このことから、縄文時代から続く編み技術であったことを示している。
アンギン袖なし
信濃町市道遺跡の土器底部の圧痕
(写真提供:信濃町教育委員会)
参考・引用文献

榊原政職 1921 「石器時代土器の紋様について(相模諸磯発見土器紋様管見)」『人類学雑誌』 
甲野勇 1953 『縄文土器の話』 世界社
小林達雄 1994 『縄文土器の研究』 小学館