土器は粘土を積み上げ、貼り付けて造形する「プラス」の造形である。一方、石器は母岩を剥離したり、叩きつぶしたりして形を整える「マイナス」の造形である。
ここで展示した大形石棒の大きな特徴は、太くて細長いことにある。堂平遺跡の事例は、基部が打ち割られているが、その太さは約22cmである。芋川原遺跡の事例は、長さ約72cm、最大径16cmを計る。それなりに太く長い母岩が必要である。苗場山麓はあちこちに柱状節理の岩肌(約6箇所)が存在し、近傍の川原に行くと柱状の礫を容易に採集することができる棒状節理石材の供給地である。そういう環境にある苗場山麓には、石棒製作遺跡があるはずだと言われているが、未だ発見されていない。
さて、石棒のイメージにあった母岩の採集からはじまり、その形あるいは文様を想定しながら、剥離というよりは叩きつぶす「敲打技術」で造形する。最終的には、一部研磨技術が採用され磨かれる。堂平遺跡例の胴部を観察すると柱状節理の母岩であったなごりが認められる。一方、芋川原遺跡の事例は、全国的にも重要な資料である。亀頭下端部の環状突帯を浮き彫りする。その環状突帯と連結する上下二つの文様が浮き彫りされている。このマジカルな文様は、土器文様との整合性がある。言い換えれば、文様には「マジカルな記号」的な意味があったと石棒との関係から推測される。さらに興味深いのは、土器の大半は正面観の判断が付かないが、この彫刻石棒は文様が浮き彫りにされている部位が一箇所であることから、そこに正面観があったのであろうと推測したい。
この彫刻石棒の仲間は、北陸地方に分布する(第2図)。富山県氷見市大境洞窟遺跡出土の彫刻石棒は、亀頭下端部が膨らみ環状化し、その上下に三角形(三叉文)の文様が彫り込まれる。この亀頭部を「男性原理」と読み解き、上下三角の陰彫りを「女性原理」と考え、その「両性具有」の崇拝遺物との理解がある。例えば、その三角形(三叉文)に注目するならば、芋川原遺跡の環状突帯の下に二股に分かれる「y」字状文様の浮文の中が三叉文にあたる。やはり、このマジカルな記号文様には、石棒の亀頭部と絡む意味があるのであろう。
参考文献
金子拓男ほか 1975 『苗場山麓地域農業開発事業区域内遺跡発掘調査報告書』 新潟県中魚沼郡中里村教育委員会
氷見市教育委員会 2008 『国指定史跡 大境洞窟住居跡』 氷見市教育委員会
佐藤雅一ほか 2011 『堂平遺跡』 津南町教育委員会
佐藤雅一ほか 2014 『魚沼地方の先史文化』 津南町教育委員会