鈴木牧之が生きた江戸時代の女性はどのような立場であったのであろうか。
鈴木牧之は『秋山記行』の中で、しばしば女性の様子を記している。そして、その姿も描いている。また、『信濃奇勝録』でも女性の言葉がわかりにくいと記されている。また、牧之は『北越雪譜』の中でも塩沢周辺の女性を示している。比較して紹介する。
江戸時代の農村の女性は、どのような労働と生活であったのであろうか。
江戸時代の平均寿命は30歳代前半で、男性33.2歳前後、女性は31.6歳前後であった。現代と異なり、女性の寿命が短いのは、出産時の死亡率が高かったからと考えられる。
また、近世農民家族の特徴は「夫婦かけむかい」つまり「夫婦共働き」であった。この他、借金の形として労働する質物奉公に出るという形もあったようである。中世までは、カラムシの別名苧(ちょ)麻(ま)が衣類の原料であったことから、繊維化する手間のかかる作業は女性の仕事であった。秋山郷では、近世までそれが継続していたと考えられる。
百姓の妻は、朝と夕の食事作り、春夏二度の一重の着物をこしらえて布を織ること、田植えと収穫、その他、育児も含めて多種多様な労働を担っていた。
牧之は訪れた各集落で会った女性の様子を記している。三倉(見倉)では、ぼさぼさの髪でボロボロの着物の老婆に会っている。また、嫁の様子も髪がぼさぼさであることを記している。中ノ(なかの)平(たいら)では、嫁と姑の女性2人と出会っている。甘酒では、「顔立ちは世間並みで、髪に油をつけず、赤黒く、首筋までばらばらで無造作に束ねる。手足がむきだしの短い着物、ほつれた帯で結んでいる」女性を記録している。
アンギンを着る女性(『秋山記行』野島出版より)
宿泊した小赤沢集落の福原家での様子絵図では、囲炉裏周辺に男性が集まり、食器などの並べられた側の左隅にいるのが女性と考えられる。本文では、「髪を結い、裾の短いぼろ着の上にアンギンの袖なしを着て、帯らしいほころんだもので結んでいる。そして、2人の婦人が里でも希な美しい顔立ちであり1人は肥え太り、お多福顔で美しい」としている。一方で、若い女を「醜い」としている。親子の図で描かれた女性は手に収穫した粟を持ち、櫛を挿し髪をまとめ、服装は肘までの袖あり、脛までの丈の紺色の着物にアンギンの袖なしを着て、腰で縛っている。裸足である。おそらく小赤沢の女性を描いていると考える。一緒に描かれた2人の子どもは、手にキノコを持ち、腰にも吊している。同じく手足がむきだしの着物を着て、髪も結わず、御垂髪である。
また、「ぼさぼさの髪に粗末な手ぬぐいを巻き、ちぎれた着物、ぼろぼろな帯のイラをオカキする老婆」に会っている。これもその様子が描かれたイラの老婆であろう。髪を上にまとめて、紺色のハチマキをしている。紺色の着物を着て、たすき掛けしているように見え、腰は帯で縛っている。
イラクサをオカキする老婆(『秋山記行』野島出版より)
『北越雪譜』では、「雪さらし」の様子を描いている。その中で、小屋の中とたらいの付近に女性がおり、着物を着て髪を結っている。干している女性の髪は長く、着物をたすき掛けしている。
「吹雪にあった農夫婦」では、柄のついた着物を着た女性が赤子を抱いている。
ヤマゾリを引く様子の脇に親子が描かれている。髪を結い櫛を挿し、三重の柄付きの着物に縞の帯を締めている。裕福な町屋の女性であろうか。子どもは、芥子坊主のように髪を結い、母親と同じく縞の着物を着ている。
女性がコスキで羽根つきをしている様子も描かれている。正月であるからか、髪を結いかんざしを挿し、縞の着物を着て後ろ帯も付け、下駄をはいた女性がいる。
羽根つきをする男女を見ている老婆は、無地の着物を着て背中に何かを結っている。腕には数珠が見え、杖をついている。
この二つの作品で描かれた女性は、当時の山村と町場で、その姿が異なる。町場の女性は手首や足首が裾で隠れた着物を着て、髪を結い櫛やかんざしを挿している。一方で、秋山の女性は牧之が記している通り、ぼさぼさの髪で、手足がむきだしの着物を着ている。また、アンギンの袖なしは男性だけでなく、女性も着ていたことを教えてくれる。他にも、女性は子育てから、農業、家事、そして、アンギンづくりなど多様な仕事を行っていたことがわかる。
〈参考文献〉
長島淳子 2017「江戸時代における農村女性の労働・生活とジェンダー」『農場および園芸』92巻7号