豪族と庶民-平安時代-

 平安時代、律令国家となった日本は、地方を管理する役人などが派遣された。また、地域の豪族がその役割を担う場合もある。苗場山麓で確認されている遺跡には、庶民の集落であると考えられる竪穴住居跡が確認された大割野谷内田B遺跡などがある。
 そして、相吉遺跡の例のようにいくつもの掘立柱建物跡が確認された遺跡では、支配者階級と関連する施設が造営された可能性が考えられる。
 大割野谷内田B遺跡では、竈を持つ竪穴住居跡が確認された。この竪穴式住居から見つかったカマド跡は、住居廃絶直後に破砕された土器群を意図的に重ねる行為が行われたものであり、住居廃絶に関わる祭祀跡と判断される。また、「紡錘車」などの出土遺物からも、東北地方との繋がりが考えられる。当時は、西から様々な文物が伝わり、東北へ向かう途中であったと考えられるが、相互の関係性があったことが伺える。
 奈良時代の遺跡が本地域ではまだ確認できていない中、平安時代末期の遺跡が点在するようになるなど、当時の社会変化の影響が本地域にももたらされたことも影響しているとも考えられる。
谷内田B遺跡 竈を持つ竪穴住居跡
参考・引用文献

津南町教育委員会 2008 『大割野谷内田A遺跡 大割野谷内田B遺跡』