遺跡発見の経緯

1.遺跡の発見
2.郷土史家

1.遺跡の発見
 本ノ木遺跡の発見は、長野県の樋口昇一が『信濃考古総覧』の調査研究のため、長野県栄村の踏査の際に、隣町の新潟県津南町まで足を伸ばし、考古学愛好家の石澤寅二宅を訪れたことに始まる。当時、最古の縄文土器と考えられていた山形県日向洞窟出土の「短縄文土器」に類似した土器が、石沢コレクションに含まれていることを知り、その採集地点を聞き取り、樋口が山内清男に伝えたことにより、中央考古学界がにわかに津南段丘に熱い視線を向けた。
 昭和31年、長岡市立科学博物館の中村孝三郎は、八幡一郎の指導を仰ぎ、近傍の卯ノ木遺跡で押型文土器の探求調査を開始した。その調査現場に当時、山内清男の共同研究者であった芹沢長介が見学に赴いた。
 その際、芹沢長介に石沢寅二から具体的に一段高い桑畑から多数の石槍が採集されていることを聞かされる。第1次調査が始まる前に、石沢寅二は独自で試掘調査を行い遺跡の堆積状況を確認している。その記録が観察所見とともに詳細に残されている。
『信濃考古総覧』上巻・下巻
石沢寅二コレクション(1)
石沢寅二コレクション(2)
石沢寅二による本ノ木遺跡の試掘調査土層断面図




2.郷土史家
 卯ノ木遺跡の発掘調査段階で、すでに津南町の郷土史家である石澤寅二、廣田永徳、石沢寅義らによって一段上の「もとんき(元卯ノ木)」と呼ばれていた桑畑にて、多数の尖頭器や剥片類が採集されていた。遺跡地は「もとんき(元卯ノ木)」と呼ばれていたが、いつのまにか遺跡名は「もとのき(本ノ木)」に変化し、周知化されてしまっている。

石澤寅二(3)
廣田永徳
石沢寅義

参考文献

小坂武雄ほか 1956 『信濃考古総覧 上・下巻』 信濃史料刊行会
佐藤雅一ほか 2017 『本ノ木-調査・研究の歩みと60年目の視点-』 津南町教育委員会