今井城跡は、中世の山城である。主郭・二の郭を持ち、間に空堀が配され、現在も形がのこっており、新潟県指定史跡に指定されている。この城は、これまでの研究および発掘調査によって、何度か作り変えが行われたことが確認されている。
その中で、特徴的なのは馬出である。この入り口部分の敵の侵入を阻む堀であるが、この堀を丸堀と角堀かで、この城の構築背景が検討されてきた。城の構造は、現在では、否定されつつあるが、構築者によって、特徴があると言われてきた。
今井城跡の馬出は、丸堀で、武田氏との関連性が指摘されている。本地域は越後であり、上杉氏の範囲と考えられている。隣の長野県栄村の市河氏も最終的には上杉氏側となったことからも推定されている。
そのため、当初は、上杉氏によって、築城もしくは、既にあったものを改変されたと考えられる。今井城跡の伝来では、平安時代末期の今井兼平による築城ということが言い伝えられている。その後、上杉景勝と武田勝頼の間で甲越同盟が結ばれると、今井城跡は、武田氏側のものとなり、城の改変が行われたと想定されている。丸堀の馬出は、武田氏が築城する城の特徴の1つであることから指摘されている。

古文書において、今井城跡の記述はなく、発掘調査の出土遺物からも上杉氏、武田氏が居城した明確な資料が確認されていない。けれども、現在まで残る河岸段丘の先端を利用した城跡と当時の土木作業を垣間見ることができる貴重な遺跡である。


