「跡」である柱穴と炉、そして、竪穴の平面形態や深さから、どのように構造体としての住居を考えるかは難しい。
このたび中期の竪穴住居と晩期の竪穴住居の構造検討を進めた。あちこちで建設された復元住居を観察して気が付くことは、人力で作り上げられるものなのかという素朴な疑問を抱かざるを得ない復元住居が散見された。一番気に掛かったものが、桁の高さであった。縄文人の身長と手を伸ばした位置と桁の位置は原則、整合性があると考える。土盛りして、その後に土盛りを削ると言い始めると、なかなか難しい。よって、平坦な床面形成後の柱穴構築、そして、柱立て、その後に桁と設置の順番を考えた。
「なぜ、桁が重要か」と言えば、屋根勾配を決めることになるためである。古老は経験から、雪に耐えるために桁の高さを2mかそれ以上に上げ、屋根勾配をきつくする。そのような復元住居が散在する。しかし、縄文人の男性平均身長が約150cm前後であることから、桁の位置は手を伸ばした位置、すなわち、肩から約45cm程度であろう。
次に湿潤で重い雪、冬期を考えると少なくとも2m、多ければ3mに耐える必要がある。温暖地の復元住居は、雨露がしのげれば良い構造で作られているものがあるが、苗場山麓で越冬を考慮するならば、雪に耐えられる頑丈な構造が必要となる。中期中葉~後葉の住居跡を集成すると、炉主軸を基準に規格性が読み取られ、複式炉成立以前と以後では、やや構造が異なると考えられる。
棟を支える棟持ち柱となる柱穴が炉主軸線上の両端部にある事例が多い。さらに、その主軸線に直交する柱穴が配列する。すなわち、「4柱(方形)+棟持ち柱の2柱」を結ぶと、6角形の基本構造が見える。拡張は4本柱が6本柱に変化したり、方形形態がやや崩れ柱穴が増加するが、基本構造があると確信した。
屋根勾配と屋根形態を支える柱位置の検討がさらなる難問であった。動かないものは、跡として認識している柱の位置である、それを動かすことはできない。自由に復元はできない。決定事項を守り、模型を何度も作り直しながら喧々諤々、口角泡を飛ばし、真摯に検討を重ねた。
次に、「ほぞ」問題が横たわった。全国にいくつか「ほぞ」と推定される部材検出はある。小形磨製石斧の存在は、ほぞ加工などを想定することはできる。しかし、このたびは「ほぞ」を作らず二股の股木選択と使用、そして蔓を利用した結束技術を意識して復元することとした。
苗場山麓の強みとして柱穴の径に合う二股材を探し、搬入した。本当はクリ材を求めたが、苗場山麓では要求する太さと二股があるクリ材は入手できなかった。
柱の樹皮剥ぎは、計画的に進めることができたが、横木(合掌造りではヤナカと呼ばれる)などは樹皮剥きがなされていない。これは失敗である。樹皮の下に虫が入る。使用に基本は皮剥きから始める必要があり、さらに炉から生まれるケブ(煙)が材を燻蒸することで長持ちすると古老からの学びは大切である。
どのように検討して建造しても、推論の域はでない。しかし、私たちは“なじょもんにおける縄文ムラ”での原寸復元竪穴住居の建設と維持管理の経験を活かし、山棲み古老の民俗学的経験知を集積し、さらには北海道アイヌの蔓加工技術の見聞からの採用などを進めた。これは建物構造復元だけではなく、住居内のディスプレーも同様である。居住内の道具組成は、現在進行形で復元され、随時展示される予定である。屋根裏(ソラ)利用は二階屋(ニカヤ)利用と同義語である。その乾燥環境を利用した粉保存などを含む食料保存は、苗場山麓の冬期を乗り越える重要な要素である。さらには「暖」あるいは「明かり」としての「炎」を生む燃料材の確保と保管も重要な要素である。冬期100日の燃料材ストックベースの議論は完全ではない。難しい問題である。また、入り口部についても、議論を重ねた。炉主軸の端部に入り口部を作りたかったが、壁周溝が切れる部分は、その位置ではなく、ややずれた位置で壁周溝が切れることから、それを根拠に位置を決めた。また、現地において試掘坑を開け、「入り口部が柄鏡状の出張り構造がないか」を調べたが、ないとの判断を下した。現地の傾斜と住居跡の関係から、復元位置が傾斜する地表面から入りやすいという意見があった。さらに伝えるべきは、冬期における出口の構造である。復元住居を見て回ると、便宜的ではあるが板状の面構造の囲いが立てかけられている。この場合、一夜にして1mもの積雪があると人の力では出ることができない。出るならば柔らかい編構造体でなくてならない。これは山小屋の民俗学経験則から学んだ。すなわち、二重に外は上下に巻き下ろしできるスダレ、内側は横に巻くことのできるスダレを用意した。内外の構造は、現代の風除室の考えと同じである。出口は二種の編み物で閉塞した。
いろいろ異論はあろうが、私たちは作ればいいというものではなく、現在も進行形の中で冬期を越冬する縄文人を想像して、住居構造と住居内部の道具と配置、寝床と貯蔵、燃料材保管などを考え作業を続けている。ご指導頂けることがあれば大歓迎である。
参考文献
佐藤雅一ほか 2014 『魚沼地方の先史文化』 津南町教育委員会