苗場山麓を含む後期中葉から晩期遺跡については、古くは芹沢長介が「僅か1例にすぎない」といい、津南町上郷中学校で保管されていた大形破片資料を紹介している。その資料は現存していない。保管場所から考えると採集地は、県境の志久見川周辺だと推測される。その資料について芹沢は「後期終末にちかい型式と考えるべき」であると意見して、「関東地方の安行Ⅰ式土器などに関連をもつ」ものであり、「口辺部の形態と、三本の太い沈線文に注意を払うべきであろう」と言説した。また、この土器資料については古沢妥史の研究ノートがある。
また、小林達雄は後期中葉の遺跡は、「乏しく、すなわち後期中葉から終末まで寂れていた状態が続く」と理解し、中里村家ノ脇遺跡や堂尻遺跡(正面ヶ原A遺跡)に「長野県方面の中ノ沢式土器の存在が注目され」、「信濃川流域と中部山岳地帯との関係を物語っている」と説明した。
現段階では、加曽利B式以降、高井東式土器、中ノ沢式土器など多様な土器様相があることが正面ヶ原A遺跡の調査で判明してきた。これら土器群に稀薄ながら東北地方の瘤付土器も伴うことから、今後の研究から在地土器型式の問題を含めて明らかになることであろう。
上郷中学校出土資料
参考文献
芹沢長介 1958 「妻有地方の考古学的調査 6.縄文文化 後期」『妻有郷』 新潟県教育委員会
小林達雄 1988 「第二編第二章第七節 中里村の縄文時代」『中里村史 通史編』 上巻
中里村史編さん委員会
古沢妥史 2025 「「三仏生遺跡出土土器」をめぐる謎」『越佐補遺些』 第22号 越佐補遺些の会