暮らす -深山の営み-

 牧之によって、小赤沢村の福原市右衛門宅の広い座敷の様子が錦絵で描き残されている。驚くのは、五尺四方の大きな囲炉裏縁の存在であり、そのまわりに座る大人たちの数と炉底へ足を放り出している様子から、意外に深い囲炉裏であった。この大きな囲炉裏の上に描かれている火棚に大量の粟と稗が干されている事実である。その囲炉裏に長い燃料材が3本刺しこまれて燃やされていることに驚く。その傍らに横並びに4~5本の長い燃料材が置かれていることにも注意する必要がある。奥の床上にある4枚の引き戸は、漆が塗られていたようだ。
 右奥に積み上げられている俵の中味は不明であるが、通常「米俵」と理解するであろう。少なくとも5俵ある。これが米であれば、さて秋山産なのであろうか?水田がほとんど無かった秋山で刈取った米なのであろうか?文政8年(1825)の『秋山様子書上帳』には「米は遠方から買い入れる」とあり、素直に読み解くならば、この5俵の米俵は遠方から買い入れたものなのであろう。
 江戸時代は300年近く続いたが、元禄の改鋳をはじめとした政策の中で、貨幣の品質が低下し続けていった。江戸初期では金1両=銀50匁=銭4000文であったが、江戸中期以降は、金1両=銀62匁=銭6600文ほどであった。また、江戸時代の貨幣価値を換算する方法として一般的に用いられるのは米価を使った方法である。米一升の価格を比較して換算するのである。当時の米一升は約120文であった。これらを参考にすると、米1俵は約1両であり、5俵で約6両という購入金額が算出され、小赤沢の福原市右衛門宅は、当主の名前が示す通り、裕福な家柄であったことが推察される。
 しかし、この生活は庄屋的な福原家のことであり、一般化することはできない。本来の生活スイタイルは、甘酒村の老婆の姿から醸し出る生活臭や生活感が一般的な深山の営みであったと思われる。