縄文時代の埋葬

 新潟県における縄文時代の埋葬事例の最古例は、苗場山麓の雨池A遺跡である。浅い土坑底面の一部に赤色塗彩と思われる痕跡があり、多くの石鏃と石匙が副葬されていた。報告書では、周辺出土土器から早期末と判断した。その後の石匙出土研究から前期中頃の可能性もある。阿賀町室谷洞窟遺跡では、前期初頭の事例がある。花積下層式土器の深鉢を頭に被った甕被り葬である。
 埋葬事例が多くなるのは、中期以降であり、倒立の埋甕や配石遺構に伴う甕被り埋葬事例が散見される。大半は墓穴と推定される土坑の大きさから屈葬形態であるといわれている。晩期になると細長い土坑の上に石棺状の配石遺構を持つ埋葬施設が正面ヶ原A遺跡などで出現する。このような埋葬事例は新潟平野にはなく、中部高地から北信地域に分布する埋葬例である。細長い土坑であることから「屈葬」ではなく、身体を伸ばした埋葬事例の「伸展葬」であったといわれている。
 このように約14,000年もの長い縄文文化は、その社会構造の段階的変化と複雑化を背景に埋葬形態に変化・変遷したことが分かってきた。


参考文献

中村孝三郎ほか 1964 『室谷洞窟』 長岡市立科学博物館
佐藤雅一ほか 2010 『正面ヶ原A遺跡から垣間見る縄文社会―北信越の縄文時代後期後葉から晩期前葉―』 新潟県津南町教育委員会 信濃川火焔街道連携協議会
佐藤雅一ほか 2019 『雨池A遺跡』 津南町教育委員会
加藤元康 2019 「第2章第7節第1項 葬墓制」『新潟県の考古学Ⅲ』 新潟県考古学会