人里離れた深山の秋山郷は、里と隔絶された秘境の地というレッテルが貼られた。これは昭和30~40年代の観光キャンペーン戦略で秘境がイメージされ、定着した昭和時代の作られた幻影である。また、牧之も「秋山の女性は里に行かない」などと云った誇張も一つの原因といえる。
しかしながら、小赤沢の福原家民家の構造などは、里と比較しても負けない立派な建造物であり、また、湯本の大きな湯治場には里から人々の往来があった訳である。少なからず、深山幽谷的な景観は存在し、牧之は蝦蟇仙人の棲み家とも形容したことは事実である。その通りに深山景観は存在しており、標高の高い寒冷地であったことからほとんど水田が無く、雑穀とトチノキの実が常食であったことも事実である。しかしながら、里と交流しない秘境の地であったことはないのである。
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