本ノ木論争の背景と展開

1.芹沢長介の研究
2.本ノ木論争の背景
3.本ノ木論争の行方


1.芹沢長介
 1919年に静岡で生まれ、2006年に逝去された。考古学を学ぶために明治大学に入学し、相沢忠洋と出会い、共に群馬県の岩宿遺跡発掘調査に従事、1万年以上前の打製石器を発掘し、日本に旧石器時代があったことを証明した。その後も多くの旧石器時代の遺跡を調査し続け、栃木県星野遺跡の調査結果から、旧石器時代の変遷をまとめた。これらの功績から、「日本旧石器研究の父」と呼ばれる先生は、石槍と推測される尖頭器の発生と隆盛・展開を主軸研究に据え、本ノ木遺跡や中林遺跡の資料を通して、有舌尖頭器の出現と展開の臣下論的研究を展開させた。
石沢寅二宅 研究者の集い
着座図
2.本ノ木論争の背景
 本ノ木遺跡第1次発掘調査は、山内清男の共同研究者であった芹沢長介が中山淳子などと共に1956(昭和31)年の雪が降る12月に決行された。そこには、芹沢の「尖頭器石器群の理解を探求したい」という誠実な気持ちが見える。なぜならば、当時の芹沢は、明治大学の助手として無土器時代の石槍を探求し、長野県踊場遺跡や長野県上ノ平遺跡などの石槍製作遺跡を調査する中で、石槍の形態変化から縄文文化の開始を探っていた。そのような研究背景が本ノ木遺跡第1次発掘調査にはあり、その資金は山内清男の科学研究費が充てられていた。
 第1次調査で出土した特殊な土器と石槍との関係を確認する目的で、翌年(1957)の夏に第2次発掘調査が山内清男によって実施される。第2次調査のトレンチは、第1次調査トレンチに一部重なるように設定されている。すなわち、第1次調査の地層堆積を確認し、それに繋がる新しい地層を発掘し、遺物の詳細な出土状況(関係)を観察記録している。
 芹沢長介・中山淳子の連名による第1次発掘調査成果は、1957(昭和32)年9月15日発行の『越佐研究 第12集』で報告された。その内容は、尖頭器(石槍)石器群と縄文原体を押捺した「特殊な土器」が出土した。この出土状況を後世の混入と理解し、両者の併存を否定した。そして、尖頭器(石槍)石器群は無土器時代終末の所産であり、特殊な土器群は「未命名な新型式」で縄文時代に帰属すると考えた。その後、芹沢の執筆した『妻有郷』では、本ノ木遺跡については触れられていない。
山内は、1960(昭和35)年6月25日発行の『上代文化 第30輯』で尖頭器(石槍)と土器は同時期のものであり、本ノ木遺跡は縄文時代の石槍製作跡と判断した。すなわち、芹沢と山内の異なる二つの見解は、後に「本ノ木論争」と呼ばれた。
 さらに芹沢の石槍石器群への探求は継続し、北海道で立川遺跡の発見を知る中で、本ノ木遺跡の対岸で興味深い遺跡が発見されたことが芹沢に報告される。それが中林遺跡である。赤い糸を手繰るように、芹沢は再度、南越後の河岸段丘に調査のメスを入れた。本ノ木遺跡では確信を得られなかった石槍基部の舌状形成であり、北海道で実見した有舌尖頭器に類似する基部形成、すなわち有舌尖頭器石器群の把握が中林遺跡の大きな成果である。

本ノ木遺跡 土層堆積状況
本ノ木遺跡の調査風景
(第1次調査)
石槍
3.本ノ木論争の行方
 これまでの解説のように、第1期調査を進めた芹沢長介と山内清男による同じ遺跡の調査成果は、それぞれの理解と評価が異なった訳である。その後の第2期調査成果(昭和32年)を踏まえるならば、以下のように本ノ木遺跡の出土遺物を評価できる。まず、地質学的事実として本ノ木遺跡の形成は、As-K火山灰層が降灰し、それが水成堆積する時間幅よりも新しい段階と考えることが出来る。すなわち、As‐K火山灰降灰年代(15,000年)よりも新しい段階の地質年代に相当し、それは、芹沢長介が考えていた更新世ではなく、完新世初頭の出来事と考えられる。しかしながら、芹沢の第1次発掘調査の予察に詳述されている事実を踏まえるならば、本ノ木遺跡の土器群や石器群は二次堆積の状態で出土している事実が認められる。その一方で第5次発掘調査の成果では、TP‐1トレンチにおいて攪乱を受けていないローム質シルト層中から石槍石器群が出土した。同層では、As‐K火山灰層と介在して石器群が出土しており、こうした火山灰と出土遺物との関係性から帰属時期は15,000年以降となり、縄文時代の時間的枠組みにあるといえる。また、石槍石器群の時期は、それらと一部混在して出土した土器群の特徴によって、縄文時代草創期の隆起線文土器群よりも新しい押圧縄文土器群と考えられる。こうした第2期調査の成果をふまえるならば、第1・2次発掘調査で検出した遺物群は、縄文時代草創期に帰属するものであり、それらが隆起線文土器群を基準にした場合、それ以前と以後に分かれる可能性が高い。さらなる慎重な検討が必要である。


参考文献

芹沢長介・中山淳子 1957 「新潟県津南町本ノ木遺跡調査予報」『越佐研究第12集』 
新潟県人文研究会
山内清男 1960 「縄紋土器文化のはじまる頃」『上代文化 第30輯』 国学院大学考古学会
芹沢長介 1966 「新潟県中林遺跡における有舌尖頭器の研究」『日本文化研究所研究報告 第2集』 
佐藤雅一ほか 2017 『本ノ木-調査・研究の歩みと60年目の視点-』 津南町教育委員会