遺跡周辺の山体崩壊と石材環境

1.遺跡と山体崩落
 本ノ木遺跡が立地する段丘面は、段丘礫層最上面に水成堆積のAs-K火山灰層(降灰年代約15,000年前)を含む水生堆積のシルト層である。As-K火山灰層の形成年代から、更新世末に分類される。本ノ木遺跡確認調査の結果、埋没沢や近接する比高6mの小段丘面を約2.6mの土石流堆積物が覆っていることが判明した。この土石流堆積物の下に、堆積していた黒土から採取した炭化材の炭素年代は14,500~13,000年であった。そのことから、測定年代の頃に信濃川対岸にある真山が山体崩壊したことが、地形・地質調査で判明した。
 約14,500~13,000年前に本ノ木遺跡近傍を山体崩壊土が覆い尽くした。すなわち、当時の信濃川を埋め尽くした結果、上流部に一次的に湖水が形成したと考えられる。本ノ木遺跡の本体は、微高地上に立地していたことから、この堆積物に覆われることはなかった。この堆積物は局所的に分布するもので、A地点近傍の沢地形内部とB地点と下位段丘面、それを結ぶ傾斜面で確認できる。一方、小段丘面より一段下の段丘面に立地する卯ノ木遺跡・卯ノ木南遺跡・卯ノ木低湿地遺跡などでは、この土石流堆積物は堆積していない。卯ノ木低湿地遺跡では、その最下層で検出した炭化物年代が約9,500~9,000年を示している。したがって、これらの事実から、土石流は本ノ木遺跡の一部を覆って堆積した後、その大半が信濃川によって浸食され、流された後に、卯ノ木遺跡などが立地する段丘面が形成され、さらに部分的に沢地形が形成されたと推測される。
 こうした各地点に見られる土層堆積や年代を総合的に理解するならば地形形成と遺跡形成、その背景にあった災害イベントを上記のように復元することが可能であろう。
約14,500年前~13,000年前の古地形想定図
本ノ木遺跡各地点関係図
2.遺跡と石材環境
 本ノ木遺跡は、信濃川と清津川が合流する位置に立地する。そのため、信濃川と清津川の川原石が石器の材料となる。また、石器は石を打ちかいて製作するため、目的とする石器よりも大きい必要がある。遺跡付近の川原では、信濃川上流から流れてきた無斑晶ガラス質安山岩やチャートが見られる。そして、清津川の上流では、頁岩が分布する。これら石器に利用される石材は、川原で探す場合、多種多様な石の中においては、少ない。例えば、2×2mの範囲で全ての石を確認した場合、石器に適した石は、1~2個しか確認できない。信濃川には、広い川原が広がっており石材採取に適している。清津川においては、目的とする石材の露頭を探し、その近くで採取することが効率的である。
 地質構造は、地質図を見るとその分布を知ることが出来る。そして、これらは石材踏査調査によって明らかにされる。木々が生い茂る季節は、川原や露頭を巡るのに適していない。木々が芽吹く前の初春か、枯れ葉が落ちる初冬が石材探しには適している。
 本ノ木遺跡で出土する石器には、頁岩が多く利用されている。清津川の上流域に分布する頁岩を採取し、遺跡に持ち込まれたと考えられる。
本ノ木面下位の段丘面に確認された崩落堆積物(白線間)
(スタッフ(尺)の長さは3m)
位置図と周辺の石材の写真

参考文献

小林達雄・岡本東三ほか 2016 『本ノ木遺跡第一次・二次発掘調査報告書―山内清男資料整理報告―』 津南町教育委員会
佐藤雅一ほか 2017 『本ノ木-調査・研究の歩みと60年目の視点-』 津南町教育委員会
佐藤雅一ほか 2018 『本ノ木遺跡 卯ノ木南遺跡 家の上遺跡―信濃川上流域草創期遺跡群遺跡範囲確認調査報告書―』 津南町教育委員会