『秋山記行』の中で鈴木牧之は、湯本村(切明)で秋田県からきた猟師に出会い、話を聞いている。
秋山記行の中では、「マタギ」という言葉はない。狩人・猟師という言葉で出ている。
大赤沢集落には、マタギと呼ばれる秋田猟師の子孫がいる。江戸時代、秋田県から来た親子が大赤沢集落に移住し、狩猟の技術や道具、山の神信仰を伝えた。ツメのついたカンジキを、アキタカンジキとも呼んでいる
旅マタギとして、大赤沢集落を訪れていた猟師が山で亡くなり、その猟師が持っていた「山立根本巻」が、今も伝わっている。この古文書は、津南町指定文化財に指定されている。
この「山立根本巻」は、マタギの祖とされる万事万三郎が日光権現の危機を救い、山で狩りをすることが許された「山立御免」を受けたという伝説が書かれており、マタギの起源とされている。これは、マタギが狩猟を行うことを正当化し、他の地域での狩猟を許可する「特権」を証明する役割を持っていた。
また、秋田県北秋田市阿仁地方における聞き込み調査では、秋田県から歩いて1週間で佐渡が見えた。そして、さらに1週間歩くと、苗場山についたという。秋田マタギは秋山周辺で狩猟して得た「熊の胆」を富山県まで行き、薬売りに売ったと伝う。そのお金で伊勢神宮を参拝してから、秋田県まで帰ったという。


(アキタカンジキ)

