周辺の遺跡と立地

 苗場山麓に分布する晩期遺跡は、21ヶ所確認されている。その分布(第1図)を観察するならば、河川を分離境界として3つのエリアが確認できる。正面ヶ原A遺跡が立地する清津川以西から中津川以北に11ヶ所の遺跡が偏在するエリア1がある。
エリア1は、A群:諏訪前・諏訪前東A・諏訪前東BとB群:正面ヶ原A・道下・寺田上A、そしてC群:堂屋敷・卯ノ木南の3群に細分することができる。このエリア1は、苗場山麓最大の集落遺跡が位置し、その周辺に衛星的に小規模遺跡が点在するが、諏訪前遺跡は墓域の一部を検出している。調査区内では住居跡の検出はできなかった。これら3群は有機的な社会的互恵関係を背景とした活動連鎖の総体として認識できる。
 エリア2は、志久見川以東の右岸段丘面に宮ノ脇・加用中条B・南部第3工区25Tが分布し、近接する高位段丘面に胴抜原A・洗峰H・上原Aの6遺跡が認められる。宮ノ脇遺跡は、採集遺物から規模が大きいと推定できるが、実態は不明である。上原A遺跡は小規模ながら建物跡が検出されている。
 エリア3は、清津川以東の左岸段丘面に広がる。泉竜寺遺跡では規模の大きな円形竪穴住居跡が検出されている。その周辺に桂・おざか清水の2遺跡が散在する。
 また、これら晩期遺跡の活動動態(第1表)を調べた。しかし、その大半は発掘調査がなされていないことから、その解像度は低い。現状で認識できる情報で整理するならば、21地点中、16地点の遺跡が晩期2期(大洞BC式期)での活動が認められる。晩期3期(大洞C1式期)では4地点で確認できる。長期活動が認められる遺跡は、正面ヶ原A遺跡であり、広い面積の発掘調査が実施されたからである。その活動は晩期1期から5期まではあるが、凋落を認めることができる。特に5期の活動は、珍しく正面ヶ原Aとおざか清水の2ヶ所で認められる。さらに後期中葉からの動きを正面ヶ原A遺跡で確認することができ、特に後期末葉の活動は活発である。

晩期の遺跡分布図
第1表 津南町周辺の縄文時代晩期の活動痕跡

参考文献

佐藤雅一ほか 2010 『正面ヶ原A遺跡から垣間見る縄文社会―北信越の縄文時代後期後葉から晩期前葉―』 新潟県津南町教育委員会 信濃川火焔街道連携協議会
青木利文・佐藤雅一ほか 2016 『諏訪前東A遺跡―県営中山間地域総合整備事業に伴う発掘調査報告書―』 津南町教育委員会