後期旧石器時代の苗場山麓に展開した在地の石器文化は、基本として石刃剥離技術を基盤とする石器群が第Ⅰ期から第Ⅲ期へ変遷し、刺突具としての両面加工尖頭器が第Ⅳ期に組成するという変遷史案で説明してきた。
ここで示す第Ⅴ期として扱った細石刃石器群は、まったく系譜の異なる石器製作技術を背景に幅約5mm・長さ約15mmの細石刃と呼ぶ石器を大量に剥離し、それが骨製柄に埋めこまれ、入れ替え可能な長い刃部を有し、それが投槍器や削器に利用されたと考えられる。また、骨製柄部への溝切に彫器が使用されたと推測されている。
このような系譜が異なる石器群は、徒歩で樺太経由、あるいは朝鮮半島経由で入り込んだ異集団であると推測される。苗場山麓には樺太経由、北海道で長期滞在した一部の集団が舟で青森に渡り、日本海沿岸を南下した。信濃川をさかのぼり、魚野川との合流点で荒屋遺跡を形成した集団がいたことが予想される。この集団の分派行動の一端が苗場山麓にも残されており、その特徴から幾度となく多様な集団が南下行動を起こしていたと推測される。
ここでは、その細石刃石器群のAMS年代測定値と縄文時代草創期前半の土器付着物のAMS年代測定値を比較した。その結果、幾つかの年代測定値が交差する現象が存在し、緩やかに移行する時間幅があることが明確である。
このように、後期旧石器時代から縄文時代草創期前半に掛けて、緩やかに土器使用が開始され、細石刃石器群が消滅することが理解できる。人類の文化変遷を学ぶ考古学における時代区分は、重要な考え方の基本をつくる。
少なくとも移行期に隆起線文系土器以前の無文土器や条痕文土器、沈線文土器が存在していたことは確かであり、その遡源土器の時間幅を指して大塚達朗氏は「遡源期」の使用を提示した。ここで使用した遡源期は、細石刃石器群と遡源的な土器群が交差する漸移的な時間幅である。谷口康浩氏は、遡源土器を含む草創期全体の用語として、「移行期」を提示した。氏は縄文時代の開始の基準を土器の有無とはせずに、多様な縄文文化現象が認められる早期初頭(小林達雄編年)からとした。氏の考え方は、旧石器時代研究者や若き尖鋭な研究者の評価は高い。
しかし、津南町教育委員会は、教科書に準じ、土器の発生を根拠とする縄文時代大別を採用し、縄文時代の6時期区分は小林達雄編年に従うものである。
植刃器
参考資料
佐藤雅一ほか 2014 『魚沼地方の先史文化』 津南町教育委員会
苗場山麓ジオパーク振興協議会 2022 『晩氷期・細石刃文化の資源利用―苗場山麓ジオパークから眺望するジオパークの繋がり―』