近代民俗の世界で落葉樹の森に適応し、トチノキの実から加工採取した粉を材料とした食文化が、東日本の限られた地域に残されていた。その一つが苗場山麓の中津川渓谷に点在する村々であった。その記録は、滝沢秀一や渡辺誠によって進められ、渡辺は考古学研究に援用した。
縄文時代におけるトチノキの実の利用は、正面ヶ原A遺跡からの出土品からも明らかである。佐野隆は、中部高地地域では、縄文時代中期に主にクリが利用されてきたが、中期の終わりから後期になるとトチノキの実の利用が始まっているという。これは、徐々に気候が冷涼化したことから、クリの採取量が減り、補完としてトチノキの実を利用されたと考えられている。そして、この利用の変換は、クリ林を管理する大規模な集落構造の解体を背景に、トチノキの実が自生する小河川沿いに集落が移動すると共に、その規模を縮小し、トチノキの実を加工する施設を小河川と構築する新しい生業活動と集落運営が中期終末から後期初頭に開始されたとの見解がある。
栗島義明は、東日本のトチノキの実の民俗利用の調査集成を行い、トチノキの実の利用に木灰を使ったあく抜きだけではなく、灰を利用しないあく抜き方法の存在を指摘している。
吉川昌伸は、卯ノ木泥炭層遺跡の花粉分析から、ナラ、ブナが主体であった植生が縄文時代中期中葉~後葉においてクリの花粉が多出することから、クリ林があったことを指摘している。これは人為的であり縄文人によるクリ林管理が行われた可能性を示唆している。
卯ノ木泥炭層遺跡の試掘トレンチにおける主要花粉分布図
参考文献
吉川昌伸 2012 「卯ノ木泥炭層遺跡の花粉化石群」『新潟県卯ノ木泥炭層遺跡の発掘調査による縄文文化形成期の古環境と生業の研究』 國學院大學文学部考古学研究室
佐藤雅一ほか 2014 『魚沼地方の先史文化』 津南町教育委員会
佐藤雅一ほか 2017 『本ノ木-調査・研究の歩みと60年目の視点-』 津南町教育委員会
栗島義明 2024 『トチノミ食の民俗学~東日本地域に於けるアク抜き事例の集成~』