文様を施す手法のうち「刺す」所作・行為に伴う文様が「刺突文系土器」と考える。この刺突文系土器は、隆起線文系土器以前に帰属すると理解されている肥厚口縁系土器の口縁部に刺突が認められ、土器の遡源段階まで遡ることは知られているが、その系譜的つながりについては不詳である。
爪形文土器は、生体の爪や工具によって爪形文を施文する。土器の粘土積み上げに伴う指頭押圧整形などに伴い指先の爪跡が残され文様化するプロセスが想定できる。また、編籠を模倣した場合、編籠素材の捻りが斜行線に見えることから、その写しとして爪や工具を右傾や左傾に突き刺して、爪形文を生成した可能性がある。
苗場山麓での爪形文土器の出土は稀である。十日町市小丸山遺跡から出土した爪形文土器は重要である。口縁部に横位2条の右傾する爪形文が観察できる(写真)。この破片左側を観察すると爪形の一部が消されるように縦位のナデ調整が認められる。柔らかい土器器面へのナデ調整で微隆起線文を生み出す手法があり、関係性が示唆される資料が存在する。
また、ハの字爪形文の派生を考えるならば、柔らかな土器器面を横位に進む連鎖行為により摘み上げナデることで隆起線文が生成される可能性があり、その過程で隆起線文+ハの字爪形文(横位)の関係が生まれた可能性がある。しかし、関東地方では花見山遺跡など隆起線文とハの字爪形文の併施資料は普遍的に存在するが、苗場山麓では現段階では皆無である。横位複条(間隔開け)のハの字爪形文の土器や押圧縄文土器に併施するハの字爪形文が普遍的に存在する。
長岡市西倉遺跡は、新潟県における爪形文土器の標識遺跡である。小破片からの認識でしかないが、複数段階の変遷が予想されている(佐藤:2023)。関東地方では「厚手爪形文土器」と「薄手爪形文土器」が大別されている。不勉強でその峻別根拠が解らないが、経験則的に新潟県に分布する爪形土器は薄手爪形文なのであろうと考えている。この薄手爪形文を主体とした土器相は、西倉遺跡を観察する限り、信濃川流域に存在している可能性があるが、その面的分布を把握していない。また、そのような土器相の単独時期が存在するというよりも、他の土器相と同時存在していたと考えるほうが現実的かと推測する。少なくとも、十日町市壬遺跡出土の微隆起線文に斜行する爪形文が併施されていることから、微隆起線文土器が隆盛している段階に爪形文土器が存在していたことは間違い無いと理解している。
円孔文土器が初めて発見された遺跡が、十日町市壬遺跡であり、発掘調査で多様性のある円孔文系土器群が認識された。円孔文系土器については、谷口康浩の研究がある(谷口:++)。谷口によれば、円孔文系土器の文様構成は隆起線文系土器に類似するという。そのことから隆起線文系土器と並行関係に円孔文系土器の型式学的位置を理解する必要がある。

(星野洋治コレクション 所蔵:新潟県立歴史博物館)

(所蔵:國學院大學博物館)
参考文献
小林達雄ほか 1981 『壬遺跡』 國學院大学文学部考古学研究室
小林達雄ほか 1994 『小丸山遺跡・おざか清水遺跡』 中里村教育委員会
坂本彰ほか 1995 『花見山遺跡』 横浜市教育委員会ほか
佐藤雅一ほか 2003 『西倉遺跡』 川口町教育委員会

