山間部では、雪深く、病となっても医者がいなかったため薬草などの利用や神に祈るしかなかった。
屋敷集落の薬師堂では、現在でも、治したい身体の部分を祈るために帽子やTシャツなどが奉納されている様子を見ることができる。
『秋山記行』では、清水川原で高札としめ縄を描き、疱瘡について聞き取ったことを書き記している。現在の天然痘である疱瘡は、江戸時代において非常に恐れられていた。
けれども、隔離することや以前疱瘡にかかったものが看病を行うなど、現在の観点からも経験に裏付けられ、考えられた対応をしていることがわかる。
また、集落の入り口に、サンダワラやミチシキリの札などを設置することは、悪い病が入って来ないようにする、人々の祈りのカタチが垣間見える。
小赤沢集落のまじないに伴う札の版木が多く残され、ロクサン除けや毘沙門天、蚕の神様である笠神など様々な神様を祈るためのお札があったことも示している。


