各展示物詳細– category –
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考古学中世
沖ノ原台地の山城 ー戦国時代ー
沖ノ原台地は、およそ20万年前に陸地化した河岸段丘上に位置し、標高はおよそ450m、信濃川との比高は、およそ170~200mである。このような地形を利用して、段丘の先端に山城が作られている。代表的なのが赤沢城跡と今井城跡である。 赤沢城跡は、中魚沼... -
民俗
人と風土 -鈴木牧之と雪-
牧之は、100日間雪閉ざされる豪雪地で生まれた。積雪の多い厳しい自然環境の中、耐え抜き暮らす生活を身体で感じ取っていた。それは時として、生きるか死ぬかの厳しい自然環境の中での雪との生活であった。 暖地の風流人は、小雪が舞う情景やうっすらと... -
民俗
『秋山記行』に書かれた風景
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民俗
『秋山記行』と『北越雪譜』
鈴木牧之は、幼き頃から父牧水の影響を受け、それを契機に漢文や挿絵構図を学んだ。牧之の俳号も、父垣右衛門の俳号である牧水から一字を貰い名乗り出た。牧水が残した「張交屏風国所姓名帖」を観るならば、約200人もの全国各地の文化風流人と牧水が交流... -
民俗
歩く -見て触れて書いた秋山記行-
『秋山記行』に牧之は、中津川渓谷に散在している村々を絵図に描いた。絵図には越後秋山と信州秋山が凡例で示されている。赤丸が越後秋山であるという。現在は、硫黄川が新潟県と長野県の境界であり、甘酒廃村跡地は左岸の長野県域にある。しかし、絵図... -
民俗
牧之がたどった秋山郷
⑨-2-2 牧之がたどった秋山郷 牧之は、水先案内人を受けた桶屋の団造と近所のよしみで、よく茶呑み話で秋山の話をしていたのであろうか。なぜ、桶屋の団造が秋山に詳しかったのか。記述を読めば、団造は越後秋山に精通していたが、信州秋山は牧之とともに... -
民俗
出会う -深山の女性-
鈴木牧之が生きた江戸時代の女性はどのような立場であったのであろうか。鈴木牧之は『秋山記行』の中で、しばしば女性の様子を記している。そして、その姿も描いている。また、『信濃奇勝録』でも女性の言葉がわかりにくいと記されている。また、牧之は... -
民俗
病い -疱瘡とまじない-
秋山郷を牧之が探訪した江戸時代では雪深く、病となっても医者がいなかったため、草などの利用や神に祈るしかなかった。 屋敷集落の薬師堂では、現在でも治したい身体の部分を祈るために、帽子やTシャツなどが奉納されている様子を見ることができる。 ... -
民俗
祈る -深山の信仰-
秋山郷の各集落には、お宮やお堂、ご神木、庚申塔などの石造物が今も残され、地域の人々に大切にされている。 お宮は、ほとんどが十二神社である。この神社は山の神を祀っている。秋山郷では、狩猟に木材、食べ物など、山から様々な恩恵を受けているこ... -
民俗
仕留める -深山のマタギ-
『秋山記行』の中では、「マタギ」という言葉はない。狩人・猟師という言葉で出ている。この『秋山記行』の中で鈴木牧之は、湯本村(切明)で秋田県からきた猟師に出会い、次のような話を聞いている。 「猟師は鍋を2つ3つ、椀は人数分と米と塩だけで深山... -
民俗
編む -編み技術と製品-
『秋山記行』には、「イラ」という草を精する姿の老婆を描いている。また、母親と子ども2人を描いた挿絵の母親や福原家の囲炉裏を囲む人々は、網目模様が入った「ソデナシ」を着ている。これが「アンギン編み」と考えられる。この編み技術は、縄文土器の... -
民俗
食べる -深山の食生活-
文政8年(1825)の『秋山様子書上帳』によれば「食物は稗・蕎麦・栃などの木の実・粟などが常食で、米は遠方より買い入れ盆・正月のみ用いられた」という。また、『津南町史』によれば「コゴメ・アラモト・シイナといったくず米も粉にひいて、稗・粟の粉...

